ピラティスの体験記
「薬剤や手術など、特別な治療行為」をおこなうことを医学の前提にしているからこそ、それを「行わずに疾病の治癒が得られること」という、否定形をともなった定義をするしか手だてがないのです。
特徴の第二は、「自然治癒」のメカニズムを説明しようとするときに「防御力、免疫機構など」といった漠然とした根拠しか提示できないというところにみられます。
「防御」と「免疫」はほぼおなじ概念であり、カズンズが指摘しているように、それと「治癒」とはあきらかにべつの概念です。
精緻な病理学はあっても「治療学」という研究分野を生みだすことのなかった現代医学は、「防御・免疫」という概念と、それらを包含しながら、より生成的・創出的な「治癒」という、上位の概念との区別すらもつけることができないほどに「病理志向」的なのです。
仮に『代替医療辞典』が存在するとすれば、「自発的治癒」または「自然治癒」の英語表現が用いられることになるでしょう。
事実、ワイルもそのことば「自発的治癒」を医学用語として用いることを提唱しています。
お気づきのように、本書もワイルの提唱にしたがっています。
「ホリスティック」や「ヘルス」とおなじく、「全体/完全」という意味をもつギリシャ語の葺に由来する自動詞であり、「全体/完全に回帰すること」が「自然に癒えること」であるという認識にもとづいているものです。
ちなみに、「健康」と訳される英語に動詞を名詞化する接尾辞にVがついたことばで、文字どおり「全体/完全な状態」を意味することばです。
機械論にもとづく現代医学とはちがって、その根底にホリスティックな自然哲学をもつ代替医療は、古代からつづくことばの系譜がそのまま治療体系を構成する思想とつねに整合性をもっているのが特色のひとつです。
病理志向の現代医学では、「健康」の定義もまた、「疾病がない状態」という、否定形をともなったものにならざるを得ません。
健康というごく日常的な現象の定義に否定形をともなうということは、そこになんらかのむりがあることを意味しているような気がします。
一方、仮想の『代替医療辞典』の「自発的治癒」の項目は、たとえばまず「生体に本来備わっている、全体/完全な状態に回帰しようとする特性のことをいい、その機能水準が低下したときにはじめて薬剤や手術など、とくべつな治療行為をおこなう」といった記述からはじまるはずです。
そして「自発的に、またはその自発性を誘導する治療によって、治癒または寛解が得られるのは、免疫系・脳神経系・内分泌系などを統合している、上位の治癒系の作用によるものであり、治療技術の評価はこの生得的な自発的治癒力をいかに賦活するかにかかっている」といった記述がつづくことになるでしょう。
自動詞としての「治癒」を賦活・促進する努力が最初にあって、その試みに失敗したときに他動詞としての「治療」行為がはじまるが、その際にも、自発的治癒力の賦活が治療の目標になるとするのが代替医療に共通する思考法なのです。
そこには「生命力」や「自発的治癒力」にたいする、ほとんど楽天的ともいえるほどの篤い信頼があります。
それを信頼し、確信することが、じっさいに治癒力を発揮することにつながるという経験知があるからです。
「治る力」への信仰「自然艮能」は「自然治癒力」としてよみがえる近代医学も最初から「生命力」や「自然治癒力」を否定していたわけではありません。
一九世紀の後半まではヒポクラテスの著書が欧米の医学生の必読書だったことからもわかるように、「生命力」や「自然治癒力」はむしろ医学のキーワードでした。
「自然が病いを癒し、医師がそれを懇篤に手助けする」を思想の根底に置いていたヒポクラテスが「自然治癒力」を大いに強調していたことはいうまでもありません。
それは英語の音。
(医師)ということばがギリシャ語の二自然)に由来していることとも無関係ではありません。
したがって、少なくとも一九世紀の後半までは、不可視の「生命力」や「自然治癒力」の存在を認め、それを強調する近代医学の医師はけっしてめずらしくありませんでした。
たとえば日本の医学の近代化に大きな影響をあたえたフーフェラントもそのひとりでした。
祖父も父もワイマール王宮の侍医という名家に生まれたクリストフ・フーフェラントは、ホメオパシーの創始者、バーネマンと同時代に生きたドイツの医師でした。
イエナ大学とゲッチンゲン大学で医学を学んだかれは、ワイマール公の推薦でイエナ大学の教授に就任し、三八歳で科学アカデミーの会員になりました。
やがてベルリン大学に移って病理学と治療学の教授をつとめ、ドイツにはじめて内科学会と外科学会をつくった人としても知られています。
オランダ国王のルイ・ボナパルト(ナポレオンの弟)の主治医をつとめるなど、臨床家としても名高かったフーフエラントの中心思想は「ゲネーセンデ・ナトゥール」(自然に治る力)にありました。
かれの思想の集大成である『エンシリジオン・メディクム』(医学必携)という著書は日本にも幕末に輸入され、緒方洪庵、杉田成卿、青木周弼などが部分訳を試みています。
青木周粥はそのタイトルを『察病亀鑑』(診察の手本)とし、「凡そ疾病の治するは自然良能の営為にして、医師は唯々これが輔相たり」と訳しました。
その当時は「ゲネーセンデ・ナトゥール」を「自然良能」と訳していたのです。
緒方洪庵は『扶氏経験遺訓』(「扶氏」はフーフェラント氏)というタイトルをつけ、「自然良能」の三つの特徴が説かれている部分をつぎのように訳しています。
感応力(有形無形を問わず、必ず抵抗して外からの感動あれば、これを防ぐ力)
資威力(内からの力に抵抗し、体内に異常の物質あれば自家同質のものとするか、体外に排出する力)抵抗定則(体力消耗したとき、しばし休息し、栄養補給すれば元に復する力)「感応力」にある「感動」はこのばあい、「害作用」といった意味でしょうか。
幸いなことに、同書の一部を杉田成卿が翻訳した『医戒』は杉本つとむ氏の綿密な注釈と解説がついた文庫本になっていますので、医師をはじめとする治療家の皆さんにはぜひおすすめします。
(社会思想社、教養文庫)さて、ヒポクラテス以来、医学思想の中心概念でありつづけた「自然治癒力」にたいしては、すでに幕末からそれに対応する「自然良能」という日本語がありました。
明治七年の医制発布を契機に、近代西洋医学が一元的に国の医学として採用されるようになってからも、「自然良能」はこころある医師たちによって強調されつづけてきました。
明治末期から大正時代に読みつがれた名著『医界之銭椎』(和田啓十郎著)にも、そのことばは頻繁に使われています。
「およそ医療なるものは自然良能の及ばざる所を補佐するのみにして足る」と、ヒポクラテスとおなじ思想をのべた和田は、自然良能をつぎのように定義しています。
「自然の妙用間断なく活動せるにありて、もってよく外来の侵襲物を防御し、体内の病毒を排除し、わが健康保持に対して全力を傾注しつつあるもの」。
いまこの瞬間にも「間断なく活動」して、免疫作用や治癒作用をつかさどり、「健康保持」のために惜しみなくはたらいてくれているもの、それが自然の「良能」(生まれながらに備わっているすぐれた能力)であるというのです。
時代をあげて近代化へとなだれこんでいく風潮を憂い、伝統文化の価値やその存続を主張する漢方医のひとりだった和田は「西洋文明万能」の時代に警鐘を鳴らして、こんな意味のことばを残しています。
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